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風間健介日記 2007/2後半

武蔵野日記 2月24日から 
2月28日
バレンタインと同じくらい、最も嫌いな日である。
2月28日に限らず、月末は支払いが重なって嫌いなのだ。
(特にニッパチの月は景気が悪いと言うしね。)

昨日は酒も飲まず、早く横になった。(午後8時前ぐらいどす。)
しかし、かなり酔って寝くなって寝る習慣が30年も続いている者にとって、
早くに横になったからと言って、眠れるものではない。
ずっと、布団の中で考え事。
布団が吹っ飛んだ?なんてことは考えないが、作品のことを考えていたのだが、
腰痛の経験のある人はわかると思うが、腰痛って横になっているだけでも痛いのだ。
(だから、健康な人でも、一晩に何回も寝返りを打つというのよ。)
秋の企画展と2冊目の写真集の事や新作の熟成の事を考えていた。
もちろん、考えていてもすぐに出来るわけがないが、
不器用なタイプの人間には、思いの熟成が必要なのよ。
で、かなり横になっていたが、腰痛の時って中々寝れないし、
30分に一回は怖い夢(腰にとって)見て、眼が醒めるのよ。
で、余計に疲れるのよねん。
無理して飲んだ方が、良かったと思うぐらいだもん。

それでも、今日は早く起きれて、8時ぐらいから事務仕事。
その後、公共料金等他への支払いと、食料品の買出し。
今日は風が強かった。
焼くつもりでいたのだが、強い風の中帰ってきたら、真っ赤な顔。
私は小学校の時から、体が弱かったのだ。

4月にやる写真展のDMの原稿が、ルーニーから送られてきた。
苦労したと思う。
1枚の写真をレイアウトしたものではないからだ。
水戸でやったインスタレーションを加工したものなのよ。
(撮影をしたのは、メガネを掛けない風間だしね。)
本当にご苦労様でした。
なんとしても、多くの人に見てもらわないとね。

郵便局に行った時、
外見がヨレヨレの爺さんが、金を貸してくれと頼んでいた。
「通帳と印鑑はありますか。」と局員。
「そういうものはありません。」と爺さん。
「でしたら、郵便局では、そういう事は出来ません。」
トボトボと、出て行く爺さん。(家はないのだろうなあ。)
将来が不安になった。

なにしろ私の場合、自由業といっても無職に近いし、
将来の備えなぞなんもない。
いくら好きな事をやっているとはいえ、食うためには金が要る。
(たとえ、バライタの紙だと言ってスーパーに持って行っても、
モヤシ一つ買えないのだ。)
私はカメラマン的な仕事をしていないので、結構羨ましがられる。
しかし、これはこれで厳しいのである。
ふんっ、風間の馬鹿は好き勝ってやっているくせに、贅沢なやつだと
思われるかもしれない。(ヒルズを見た人は、そう思わないだろうけど。)

しかし、あまり知られていないけど、
好きな事というのは、普通の職業以上に競争が激しいのよ。
私のように体が弱く、気も弱い人間は実際、大変なのよねん。
だから動かない分、秋の企画展の構想を考えていた。
実際、今日やった仕事はDMのチェック、、、、だけだもんね。
(そういやあ、まだ正月飾りが飾ってある。)

過去、北海道では炭鉱遺産のPRのための展ばかりだったし、
去年の東京でも似たようなものだったので、
私の作品は知られていないと思う。
秋は箱も広いので、いろんな作品を並べようかなと思っている。

2月27日
行った事もないギャラリーでの、見知らぬ人からの写真展の案内状。
私は写真年鑑にも住所は載せていないし、芳名録も名前だけしか書かない。
どこで調べるのかね??
まあ、公園等では写真を買って下さった方には名刺を渡しているのだが、、、。
正直言って、今は人の写真展を見に行く気がまったくない。
というか、行けないのだ。
大幅な仕事の遅れもあるし、なにしろ一番肝心な自分の作品さえ作っていない
のだ。他人の写真どころではないわなあ。でしょ。(ヒルズでは拝見しますが。)
それに写真に限らず、作家って自分の作品が一番だと思っている人種だと
思うので、人のを見てもねえというか、そんなヒマあるのなら、もっと良い作品を
作れと言われる人種なのだ。
(だから、私は展に来てくれる人は凄いと思っているし、ポストカード等の
プレゼントをしている。また、若い人は多くの良いものを見るべきだと思っている。)

それに、それ以前に体調が悪い、、、、、のだ。
プリントどころか食器洗いさえ、腰が痛い状態&食欲、酒欲もない状態。
今日も何も出来なかった。
645や35を出して触って過ごす。

頂き物のニコン用のタムロンの望遠ズームにはマクロ機能がついている。
それに、クローズアップレンズの3号をつけると、かなりの金魚のアップが撮れる
ことがわかった。しかし、ピンや露出は非常に難しそうである。う?ん。
ヒルズにある金魚図鑑は金魚の特徴をわかりやすく、解説的に撮ったものだ。
ストロボは上から光らせたものである。
これまた頂き物のグリップ式のストロボもあるので、なんとかなるかな。
しかし、昔はミュージシャンという金魚と同様に動くものを撮っていたが、
北海道時代の20年は、三脚とレリーズを使った撮影だった。
おまけに、長時間露光も多かったしね。
いくら絞ってもピンボケ続出だろうが、水を替えた時に挑戦しようっと。
ヒルズにはクローズアップレンズの2号と3号があるが、
二つ重ねると恐ろしい事になる事も、わかった。
私では絶対にピントを合わせられないだろうな。

今日も電話がならなかった。
今、週刊誌3箇所、カメラ雑誌2個所、出版社1箇所に、
写真が行っているのだが、、、、。


2月26日
腰痛酷く、メールの返答だけしたのだが。
チト、驚いた。
「むかーし、もう20年以上も前でしょうか、高田馬場のビルで音楽スタジオを
やりながらミュージシャンを志していたMです。
覚えてますか?
あの頃、風間君の写真を見せてもらい、すごい才能に驚き、自分も写真を
やっていたのですが、「こりゃかなわん」と思いました。
先日、写真家のTさんがビルの一室に越して来られて部屋づくりをお手伝いして
いたところ、風間くんの写真集があり、
「あれっ、彼知っていますよ、昔からすごいいい写真をとってましたけど、
ついに写真集まで出したんですね」と風間君の写真の話で盛り上がりました。
ずっと続けられていたんですね。
ぼくはミュージシャンは諦め、今はビデオやホームページの制作をやっています。
まだあのビルにいます。
一度、久しぶりにお会いしたいです。武蔵野ヒルズへ遊びに行こうかな。
お会い出来るときを楽しみにしています!
PS.
それから、うちの娘(もう19歳)が芝居を目指していますので
写真をとってもらいたいなぁと思っています。」

得意の無断転載だが、懐かしさが溢れた。(自慢の為に載せた部分もあるけどね。)
Tさんはフジフォトの受賞展に来られたようだが、凄い縁だね。
Mさんからテルも頂いた。
もう記憶もないのだが、彼のスタジオに私も行ったという。
(アパートで飲んだ記憶はある。みんな若かったから、ギラギラしていたね。)
そこで、プリントを持っていったという。そして、そこで売れないかとやってたらしい。
風間って、20年以上前から、見事なほど同じ事をしている。
今度、彼がそのプリントを持ってヒルズに来る。
私はその写真に記憶がない。
楽しみである。
一般にプリントは本人が焼いたビンテージプリントが最も価値があると言われるが、
あの頃の私は、どんなものを、どんな風に焼いていたのだろうか。
もんの凄く興味がある。

昔は良かったという言葉は、年寄りが使う言葉かもしれない。
しかし、ミュージシャン関係の仕事は昔の方が絶対に良かったと思う。
今のCDって、10cmぐらいでしょ。
昔はシングルが17cmで、LPが30cmだったのよ。
30cmは遣り甲斐あるでしょ。

ついでに自慢を書く。
20ぐらいの時、いまなりあきよしさんというミュージシャンの写真を撮った。
画一なフォークではなく、美しい曲だった。私は彼の才能が大好きだった。
彼のジャケットも撮った「オルフェの海」というLPだ。
ディレクターもデザイナーも写真を気に入ってくれて、
ありがたいことに写真を優先したデザインにしてくれた。
レコード屋でジャケが気に入ってくれて、買ってくれた女性がいた。
そして、家で聞いていたら、旦那さんが気に入ったという。
この旦那さんは、キャニオンだったかの、売れっ子ディレクターだった。
で、その縁で、いまなりさんは事務所が決まったのだ。
とはいえ、才能あったいまなりさんでも、売れなかったが。
私はこの「オルフェの海」を今、持っていない。物凄く欲しいのだ。
青春なんだよね。

青春繋がりで、もう一つ。
上記のMさんとは、電話でも話した。
しかし、彼と知り合ったきっかけを彼は覚えていなかった。
彼と知り合ったきっかけこそは、私の青春だったのだ。

私は当時、神奈川の座間に住んでいた。
音楽関係の写真をやめて、何をしてよいかわからず、知人のいる座間に
引っ込んでいたのだ。生活はビルの窓拭きでしていた。
(当時は高所恐怖症ではなかった。)
座間は小田急線だったのだが、
この時に、凄まじく美しい女子高生を見かけたのだ。
この時に、痴漢をした。
というのは、もちろん、嘘である。某教授ではない。
ちょうど、音楽関係の写真をやめ、自分のテーマを探していた時であるし、
それ以上に、美しく、撮りたかったのだ。

で、彼女の後をついていった。
ストーカーではないが、その間に表情とかを見たかったのだ。
彼女が家に入る時、声を掛けた。
彼女は、有名音楽高校でフルートをやっているお嬢さん。
ちょうどその時、遊びに来ていた、従兄であるMさんが、私の面通ししたのよ。
それで、彼と話があって、友人になったのだ。
このお嬢さんの名は画家ルソーからつけられた留麻さん。
彼女の乗換駅の登戸のホームで待っていた事も思い出した。
なにしろこの時の姿は、野口五郎の私鉄沿線という曲の世界である。
そして、先輩でもある美術家のOの奥さんに偶然見られ、笑われたのだ。

それにしても、Mさんには19歳の娘がいるという。
19歳と言えば、もう大人である。
つまり、私も大人である子供がいてもオカシクナイ年なのだ。
チト、落ち込んでいる。

2月25日
起きたのは7時前。
健康的である。

しかし、午後の7時前なのである。健康もヘッタクレもないわな。
下手な勘繰りはしなくても酔い。
見事な二日酔いなのである。

昨日は大学生が写真を見にきた。
写真学校ではなく、写真大学でもなく、普通の大学であるし、
写真部もない学校である。(しかし、暗室はあるらしい。)
プリントの手本が欲しいと、ヒルズに来たのだ。
自作の写真は持ってこなかったが、
ただ、写真を真面目にやりたいという若者で、会話も楽しかった。

この若者、写真家に向いていると思った。
写真を見なくても、良い写真家になると判断出来るところは、
やはり、才能なのであろう。
で、125分の1以下しか使えないが、67の初期型と標準レンズをあげた。
使いまくって、ぶっ壊して欲しい。

で、仕事は大幅に遅れているし、金もないのに、
ヒルズ通り飲食店街のスナックとバーに行った。
で、4時くらいまで飲んでいたのだろうか。
で、午後7時前の起床。
当然、写真の仕事はしていないし、
記憶も、、、、ない。

無性にイカフライが食いたくなり、三鷹市場に行った。
本当に東京は物価が安い。(不動産関係は別だが。)
しっかし、レジで金を払った直後、
惣菜売り場で「さあ、今から半額だよ?。」の大音声。
二日酔いと腰痛でエネルギーのない風間だったが、ぶっ殺したくなった。
もちろん、私は知性的な人間なので、どついたりしないし、
それらのものを買い足しても、食いきれないことを知っている。
しっかし、マジに悔しかった。
今度、同じ時間に行って半額を買い占めてやろうと思っている。
しかし、半額という事は、年収が倍増したように思わない?

サーバーの容量が一杯になった。(トップはOCNで10MBしかないのよ。)
日記も画像用のサーバーに載せている。
もちろん、使っていないファイルを削除すればよいのだが、
整理が出来ない性格なので、OCNのサーバーに接続しても、
どれがなにやらわからない。
で、イカフライで軽く飲んで寝ます。

3月24日
昨夜はかなり遅くまで飲んで、私が寝たのは2時頃か。
普段と同じ時間には起きれたのだが、風邪と腰痛が酷く、
昼過ぎまで、万年床の中。

それでも、何とかマミヤ645のフィルム装填の練習をしていた。
私はペンタの67に慣れているので、このフィルム装填方式はキツイのよ。
(もんの凄く、不器用な人なのよね。)
ペンタの645や、ハッセルも同じ方式だと思うが、、、。
とはいえ、撮ったものがピンボケや片ボケではマズイのでというか、
フイルム代がモッタイナイので、訓練するのだ。

午後起きだして久しぶりに焼いた。
本当は体調の悪い時は、焼きたくないのよ。
結果が想像出来るから。
「leaf」というシリーズで私は気に入っているものだが、
う?ん。やっぱ、しっくり色が出ない。
おまけに腰痛が出て、4カット60枚でギブアップ。
予想通りで、チャンチャン。
しかし、時間がない。
依頼仕事や打ち合わせがないので、私の手帳は真っ白である。
当然、見ないし、見る必要もない。
で、2月は28日までしかない事を忘れていたのだ。
おまけに、仕事はだいぶ遅れているので、これでも頑張ったのよ。

集散光式の伸ばし機も欲しいと、今日は思ったね。
モノクロをやる人間はカメラは各フィルムサイズ1台で良いが、
伸ばし機は2、3台あった方が良いと思う。
純正単レンズと28?300ズームの描写に差があると思う?
もちろん、差はある。
しかし、伸ばし機の差はもっと大きいのだ。
以前も書いたが、本物のセレブというのは、
高価な輸入カメラを見せびらかす人ではない。
伸ばし機を数種類持っていることなのである。
だって、貧乏人はウサギ小屋で、何台も置けないし、
暗室作業を楽しむということこそ、本物の知性なのよ。

と、偉そうなことを言ってもヒルズでは説得力がない。
で、アイデアをば。
伸ばし機を改良するのよ。
ランプハウスにアルミ箔を貼ったりしてね。
10円もかからないでしょう。

ちなみに、ヒルズの電灯はプラスチックの傘がない。
夕張から持って来る時、でかかったので、置いてきたのよ。
で、ダンボールとアルミ箔なのよ。
風間は大河ドラマは無理だけど、銭金になら出れる自信がある。
夕張時代なぞ、窓はビニールだけだったし、雨漏り数ヶ所、床も抜けていたのよ。
冬山やアウトドアライフの経験を自慢をする人は多いと思う。
しかし、冬山やアウトドアを楽しめるという事は、貧乏人ではない。
365日住む家がチョー大自然。おまけに泥棒も多かったしね。
さらに書くと、家賃も溜めていたのだ。
数年、、、、貧乏自慢ならいくらでも出来るのだ。

新しい技法がまた浮かんだ。
焼いている時というか、風邪も下痢も酷かったので、トイレットペーパーを見て
浮かんだのだが。
昨日の客にも、アイデアノートを見せたが、技法、コンセプト、テーマは
既に、20を超えている。
おまけに、書や絵のアイデアもある。
ひょっとすると、俺って天才なのかもしれない。
ルックスも良いし、天は二物を与え過ぎたってやつかね。
しっかし、こういうアイデアってヤフオクで売れねえかなあ。

水洗作業中にカメラの整理。もちろん、新作のためね。
私個人の機材はボロばかりである。
2段しか、脚が伸びないジッツオ。
バルブしか使えない、ペンタ67。
2万でヤフオクで落としてもらった、精度の低いF-90。(1回しか使ってない。)
スロボは5回に1回しか発光しない。(マジに薄幸なのだ。)
4X5のウィスタは、確か3万の借金と引き換え。
35の愛機だったF-301はぶっ壊れ、NF-1の御礼に展示用に行った。
某新聞支局で貰って愛用していたFE-2は誰かにあげた。
そして、自分のレンズはカビだらけである。
しかし、よくこれで撮っていたと自分でも思う。

他はいずれも、貰い物。
使えるジッツオと雲台は、円月撮法の中村さんに貰った。
もう一台の67は初期型で、北海道の医師に貰った。
(作品の邂逅2とモノクロの空で使用。ただ、私の手入れが悪かったので、
現在は125の1以下しか使えない。)
マミヤプレスは夕張出身で東京でカメラマンをしている人に貰った。
(作品の清湖町で使用。)
NF-1と28ミリ他レンズ3本は札幌の弁護士に貰った。(感触最高。)
FE-10他、一杯の機材は浅草の人に頂いたが、
多くの機材は写真をやりたいという若者の所に行った。
そしてこの人にはマミヤ645スーパーとレンズ3本も頂いた。
おまけに、写真もだいぶ買っていただいた。
本当に有難い。
ストロボは大阪の方に頂いた。
(お礼をしたいのだが、連絡取れずで困っている。)

しかし、私は作るタイプの人で、ほとんど撮らない人で、、、、。
頂いた多くの機材が眠っている。
私も、良いカメラは好きである。
しかし、根本的にカメラは写真いう、平面の芸術を作るものなのよ。
使わないカメラは自然と壊れる。
カメラは高級なものだが、使わないと壊れるものだ。
そして、乾燥剤入れて中途半端に保存するより、
使いまくって、カメラを壊してやった方が、カメラに対していいと思うのよ。
自分のボディから名作が生まれたら、それこそカメラ冥利でしょ。
私はその方が、絶対にカメラが喜ぶと思うのよねん。
(だから、ゴールデン街等で喧嘩した時、カメラでぶん殴っちゃあ駄目よ。
まあ、こういう写真家はあまりいないだろうけど、、、ね。)

昨日来たお客さんからメール。
喜ばれたようだ。嬉しいね。(差し入れ、ありがとうございました。)
色々話した。
こういう事を書くと何だが、
改めてワークショップってなんなのかな?と思った。

2月23日
36度7分と熱はたいした事はないのだが、頭痛と腰痛が酷い。
食器は何とか洗ったが、プリントどころではない。

昨日書いた手紙と、写真を選び、
年収一千万という大手出版社宛ての封筒に入れる。
夕張が倒産し、それに続く自治体も現れると思うし、
日本中の各自治体は、ビビッていると思う。
ヒルズには、倒産しそうなそして、
30年後の日本と言われる自治体のネガが一杯ある。

写真集専門の出版社は千部前後が多いが、
大出版社は数千部刷るという。
大出版社で出す人は著名な人が多く、デパートとかで展をして、
そういう場所で、売るというのだ。

武蔵野ヒルズはアパートである。
文字的には、デとアの小さな違いだが、実際の専有面積や坪単価はだいぶ違う
はずだ。(一応、名前はコーポになっているが。)
駅から3分というデパートはあると思うが、
こちとら、16平米で月に4万円なのだ。
どこかのデパートで、同じ広さ、同じ値段で貸してくれねえべかな。
そうすれば、自分だけでなく、多くの若い人の作品を扱う店に出来るのだが。
まあ、これは大河ドラマに出るよりも、
結婚よりも、セージが良くなるより難しいのだろうけどね。

話がそれ過ぎた。
30年後の日本というキャッチで売ったら、大出版社もある程度は採算が
取れるのではないかと思ったのだ。
もちろん、甘い考えであることは知っているが、
私としては、部数を多く出したいという気持ちがあるのだ。
今年の伊兵衛賞の本城さんは5万部だという。
しかし、最も著名な伊兵衛賞でさえ、過去の部数は少ないだろう。
売れれば良いというわけではないが、
話題だけの、芥川賞なんぞに負けて欲しくないし、
多くの人に知ってもらうということは、大きなことだと思うのよ。違う?。

それに、炭鉱マチのことを多くの人に知って欲しいのだ。
炭鉱は過去のものと思われているが、
現在も10箇所の炭鉱が稼動しているし、空知の石炭は90%程残っていると言う。
(本当の先進国では、エネルギー枯渇の時に技術が途絶えぬよう、
国策で、炭鉱を維持している。釧路では坑内堀が研修目的で残っているが、
骨太政策という目先の人気政策のため、やばくなっているのよ。)
それに、現在の電気使用量は節エネどころか、増えてるのだが、
その電気の17%は今も石炭(輸入炭がメインだが)で作られているのよ。
17%の電気の事を語る事は、必要な事だと思うし、
炭鉱の誤った知識認識だけが、残るのは非常にマズイ事だと思うのよ。

私は写真集「夕張」で一番見て欲しい所は、写真ではなく、私の書いた
あとがきなのよね。だから、HPの写真集の所で、あとがきが見れるようにしたのよ。
ぜひ、見てください。
実際に炭鉱のマチに住むのと、うわべでは全然違いますよ。

とはいえ、倒産したとはいえ、夕張はまだ良い。
夕張はメロンや映画祭もあり、若い人にも知名度がある。
炭鉱で有名なマチは、北海道の夕張、九州の筑豊と三池だ。
三笠、歌志内、上砂川、赤平等と言っても、
北海道経験者や炭鉱や廃墟マニアや以外には知られていないだろう。

それらのマチが倒産しても、マスコミは取材しない。(型どおり流すだけだろう。)
もちろん、みのさんや松山千春や田中康夫は訪れないだろう。
この事は、NHKのディレクターも納得している(笑)。

この文章は23日の昼の12時から13時に書いている。
腰痛と頭痛ですることがないので、飲みながら書いているのだ。
つまみはおでん。
料理する体調ではない。
99円ショップで買っておいた、レトルトおでん2つを鍋で温めて食っている。
が、
一つのおでんの賞味期限は4月14日だったが、もう一つは1月6日だった。。
多分、秋頃買ったものだろうが、、、、。
賞味期限と消費期限は違うだろうし、死ぬ事もないだろうと思うのだが、
結構、ビビリながら食っている。
それに、「ようこそ武蔵野ヒルズへ」と題した企画に、
今日初めてお客さんが来るのだ。
死んではいけないのだ。

夕方、お世話になっているYさんが、フィルムも取り込めるスキャナーを
持って来てくれた。
これさえあれば、ポジからプリントすることなく、HPにアップする事が出来る。
しっかし、そのスキャナーの入った箱は、、、、、デッカイ。
キャノンの薄っぺらいやつの10倍程、体積がある。
どこさ、置くべかな。
それ以前に、使いこなせるかどうか、、、。
文章用のサーバーが一杯になっちまった。


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